ヒストリー

崇徳バレー部70年の歴史

1946 同好者が集まってバレーボール部誕生。初代部長に西村清暁氏就任。
1947 広島師範学校で柔道をやっていた稲葉正文氏が崇徳に赴任。バレーボール監督になる1950第5回国民大会(名古屋)に初出場
1952 全日本高校バレーボール選手権大会(藤沢)に初出場
1957 全日本高校バレーボール選手権大会(仙台)で初優勝
1959 第14回国民体育大会(東京)で初優勝
1962 国民体育大会より6人制になる。
1963 吉川渉氏コーチに就任
1964 東京オリンピックに森山輝久氏、猫田勝敏氏出場
1968 メキシコオリンピックに猫田勝敏氏出場
1970 春の選抜大会始まる。
1971 国体後、稲葉正文氏が監督から部長に、吉川渉氏がコーチから監督になる。
1972 春の選抜大初優勝
ミュンヘンオリンピックに猫田勝敏氏、西本哲雄氏本出場
1973 稲葉正文氏が勇退、のち広島工業大学教授になる
小堀明男氏コーチに就任
1974 小堀明男氏コーチ退任
1975 佐幸法昭氏コーチに就任
初の三冠王達成
1976 モントリオールオリンピックに猫田勝敏氏、西本哲雄氏出場
稲葉正文氏専売広島の総監督になる。
1977 佐幸法昭氏コーチ退任、大田周一氏コーチに就任
1978 大田周一氏コーチ退任、福竹隆成氏コーチに就任
1980 平野薫氏コーチに就任
吉川渉氏全日本ジュニア監督になる。
1981 平野薫氏コーチ退任
1982 久保和彦氏部長に就任
11月11日午前6時35分稲葉正文氏永眠
吉川渉氏全日本ジュニア監督退任
1983 9月4日猫田勝敏氏永眠
1984 福竹隆成氏コーチ退任、佐々木実氏コーチ就任
1993 大田周一氏コーチ就任
1994 大田周一氏監督就任、吉川渉氏監督退任
1997 樋内明氏コーチに就任
2000 本多洋氏コーチに就任、樋内明氏コーチ退任
2002 本多洋氏監督就任、大田修一氏監督退任、益田幸始氏コーチ就任
2008 積山康一氏コーチ就任、益田幸始氏コーチ退任
2010 小田健氏コーチ就任、積山康一氏コーチ退任
春の高校バレーは平成22年度から全日本高校選手権大会として1月に開催
2011 大田周一氏永眠
2012 田村光氏コーチ就任、小田健氏コーチ退任

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